history蛍雪書道会の歴史
蛍雪書道会の創始者である小浜梅窓は、
祖父に旧高島藩の祐筆を務めた祐七郎をもち、
鵞堂流をもって明治から大正にかけて、
実用即芸術を主張した調和体により
一世を風靡した小野鵞堂に書を学び、
後に精練で功緻な楷書の達人である
毎日書道展名誉会員である
沖六鵬に師事し書の才覚を養った。
昭和戦後期
まもなく、
東京より疎開先の長野県辰野町において『温かい地元の人達の好意に触れ、書道を通じて地域文化の向上に貢献することを決意』 上京への思いを断ち、昭和21年に蛍雪書道会を開いた。『志ある処に道あり』を処世訓とし、唯一人長野県から書道芸術院に参加し孤軍奮斗し常任理事審査員を務め、長野に支局を作られるまでに至り門下に多くの逸材を育てた。 地元への貢献として様々な執筆を担ってきたなかで、『ほたる小唄』や『岡谷市歌』などの作詞家としても名を馳せてきた。
その志は令息の
小浜大明に
引き継がれる。
書の名門、大東文化大学で松井如流の薫陶を受ける。書家として中央展覧会での数多くの受賞など大躍進を遂げるが地元に根差した書育の活動を念頭一番におき研鑽継続し今日に至る。
大明の書家としての情熱はフランス・スペイン・アメリカなど多くの海外展覧会にも活動を広げ、書という芸術を通し海外との文化交流を果たす。現在は毎日書道展審査会員をはじめ多くの場で書道界の発展に寄与すべく後進の指導にあたっている。
長い歴史を持つ蛍雪書道会は、過去という土台のうえに、あすへ息づく時代に合った書芸術の創造と自分の書を求めて書道を通して地元文化への貢献を成す為、研鑽を重ねている。
参考文献 田宮 文平
『小浜梅窓遺墨展に寄せて』
種谷 扇舟 書道芸術院会長
恩地 春洋 書道芸術院理事長
毎日新聞 長野企画『書道』
豊島屋150年史 より抜粋
学ぶ三つの書
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幼・少年の皆さんには
生涯役立つ
才能教育としての書学校教育に基づく
文字の習得と習字教育を支えます -
大人のかたには
実用を兼ねた
高雅な生涯学習とし社会人として日常の生活や
仕事に活きる書を学びます -
書家を志すかたには
自身と向き合い
磨き続ける芸術の書本格的な書道の世界を
共に探求し書の魅力に触れます